川勝平太『日本文明と近代西洋』(日本放送協会出版、1991年)を読んで

 

 人類はモノを通じて、生活様式、文化、社会構成を変化させてきた。 本来、経済と文化は不可分の関係にある。しかし、経済学は通常、モノと社会の相互連関がもたらす影響まで想定しない。そこで、著者は「物産複合」という概念装置を用いて文明史の再構成を試みた。「物産複合」とは、各社会の衣食住を支える物の集合体を指す。物産複合の変化がもたらしたのは、社会や文化の変容、人間と自然の関係の変化である。本書は、モノの「棲み分け」の観点からモノの社会における受容差を検証する事で、鎖国日本と近代西欧の勃興を描いた画期的な文明論だ。


 
 アジアの旧農業文明圏の凋落と日本・欧州の新文明圏の勃興、その変容の主軸をなしたモノが「木綿」だ。17世紀、インド木綿はアジア大西洋圏に広大な需要構造を形成していた。しかし、18世紀以降の木綿市場は英国が主導することになる。背景は、英国内で木綿代替産業が育成されたことだ。当時の英国は、大量の銀流出とインド木綿の大量普及に伴う製造業空洞化に悩まされていた。国家単位でのモスリン生産傾斜、紡績技術の飛躍的進歩がイギリス産業革命を導く。19世紀以降、英国は大西洋の三角貿易を席巻することになる。


 
 一方、日本の木綿生産は17世紀以降ワタの国内移植、集約農法の開発に伴い進歩を遂げた。日英共通の特徴は、ユーラシア大陸の両端という辺境的地位を脱出し、木綿文化の隆盛地域として上昇転化した事にある。インド木綿の輸入を支える国内需要、輸入対価となる金銀銅の流出は、時の政治権力に対応を迫った。日本は多肥集約的な農法の開発、英国は資本集約的な流通生産システム確立をもって発祥地にはない合理的生産体制を発展させた。「鎖国産業革命」、国内生産体制を異にする両国がアジア貿易圏に「木綿による衣料革命」をもたらす。かつての貨幣素材供給国は、アジア経済の主導権を握るまでに成長した。開港以降、日本とアジア間の競争は顕在化され国の分業形成が促進した。国内では国内産地間競争の激化が生じたが、船来綿製品との競合関係に晒されることはなかった。なぜなら、両国の木綿は使用価値が異なっていたからだ。日本木綿の「短繊維-太糸-厚地布」、英国木綿の「長繊維-細糸-薄地布」はその性質を異にする。開港はアジア市場の編成を組み替え、日本に産業革命をもたらす成長の契機ですらあった。
 


 著者が重視するのは産物の社会における受容差である。商品は、一定の文化の中で意味と用途を見出す。文化と物を包摂する見取り図がなければ、社会の変化、文化の変容、人間と自然の関係は位置づけられない。経済を時間軸によって見る発展段階論、唯物史観とは異なる認識のパラダイムが著者の構想する「物産複合」だ。砂糖、茶、絹、磁器などの諸物産にも、モノの「使用価値」の視点は欠かせない。著者は今西錦司の「棲み分け理論」やセンのケイパビリティ論を踏まえつつ、鎖国日本と近代世界システムの勃興を「文化・物産複合」理論に昇華させてゆく。


 
 私たちの歴史認識は、時系列的な認識に基づいている。幕末期の黒船来航を境に明治維新を経て、先進的な近代西洋のシステムの導入後に経済発展に至った。それが多くの人の日本史理解だ。しかし、本書を読むと歴史認識には時間軸だけではなく、その地域の特性をも把握する「空間軸」の発想が必要なのだということを痛感させられる。大陸の辺境に対置する日英が、アジア文明と出会う。やがて、両国は「近代西洋システム」と「鎖国システム」にそれぞれ政策の舵をきる。相反する対外政策を歩んだが、19世紀半ばには、日本は周辺国に対する華夷秩序の形成、英国は流通生産システムの確立をもって発展を遂げた。この歴史的背景を解明するためには、社会の地域性と空間性を考慮にいれた上で、モノの受容差の程度、生活様式の違い、各々の発展の内実を検証する必要がある。近代西洋との比較を通じて明らかにされるのは、鎖国以降の日本が歩んだ特異性だ。近代西洋の発展の礎は、国際労働力確保にある。アジア旧農業圏からの独立は、移民と植民地という自国外の生産要素に支えられた結果だった。一方、鎖国下の日本は国内外の移民流出入を拒み、あくまでも国内で自給自足ネットワークを形成した。「なぜ日本は植民地化を免れたのか」「日本文明の特徴は何か」「そもそも鎖国とは何だったのか」それらの問いに対して、綿密な実証作業と壮大な歴史観を伴った文明論が展開されている。

 
日本文明と近代西洋―「鎖国」再考 (NHKブックス)

日本文明と近代西洋―「鎖国」再考 (NHKブックス)