鶴見良行『ナマコの眼』(筑摩書房、1990年)を読んで

  ナマコは、アジア太平洋をまたぐ複雑なつながりを形成してきた。人々の動きに接する領域の産物でもあった。著者は、ナマコを通じて国家単位の歴史記述では表出されえない「周縁・辺境」に生きる人々の営みを照らし出す。

 

 19世紀、欧米諸国が中国への輸出品としてナマコに眼をつけた。ナマコ交易の拠点となったのが、フィジーや南洋諸島だ。フィリピン群島から供出された労働者「マニラメン」がナマコ加工を担った。ナマコ加工のための強制的な移住、それに伴う多種族の交流はその土地に「ナマコ語」なる特有言語を生む。西洋産業の流入は、生態環境と住民生活にも変化を及ぼしていった。銃器流入による部族間の政治的緊張の激化、伝染病伝来による人種的混乱の高まり、島民たちはナマコが交易品になるとは知る由もなかったのだ。


 南洋諸島において、ナマコは植民地経済の象徴だった。やがて、植民地支配は交易依存から内陸への直接統治へと形をかえる。土地の経済は、伝統産業と人為的に創出された換金作物という二大セクターへ分解した。


 

ナマコの特徴は、いずれのセクターにも分割できないことだ。アボリジニー華人にとって、ナマコは植民地化以前の市場商品であり続けた。マルク圏では、特殊海産物の交易と採取経済が残り今日に至っている。中央主義史観では、複雑に入り交じった辺境は省略されてしまう。ナマコ語やマニラメンは、国家単位では決して表出できない周縁の象徴だ。中央と周縁の関係、網の目状に交わる人間の複雑な関係が、ナマコを通じて描かれていく。

 

 江戸時代、金銀銅の代替としてナマコを含む俵物三品が交易品に選ばれた。著者はナマコが生産奨励品となった経緯を、士農工商という階級維持に見る。階級の枠外におかれていた漁民、彼らの生産物が便宜的な交易品として選ばれていったのではないか。物々交換と貨幣経済の両立という矛盾が、外国貿易のしわ寄せとなり漁民の生活を圧迫した。俵物交易が本格化すると、幕府は海産物の市中売買を禁じた。生活負担の増大は推して計るに余る。漁業労働で最もひどい仕打ちを受けたのが、アイヌの人々だ。当時、ナマコの4割は蝦夷産である。和人の漁業進出でアイヌの人々の生活は一変した。食料奪取、自然破壊、信仰の抑圧、政府は同化政策を採用しアイヌの営みを、中央の枠組みの中に同化させていった。


 明治政府の膨張政策以前には、一部の日本人は南洋諸島朝鮮半島ウラジオストク遼東半島に遠洋進出していたという。南洋群島では日本移民がホシナマコ産業に従事し、パラオでは紀州の零細潜水夫と糸満漁民と天草のからゆきさんの交流があった。残念ながら、現地での人々の交流を記録した資料は残っていない。日本と離れた辺境の地で生活していたという史実が残るのみである。

ナマコ文化は生食習慣から加工、調理と階級上昇を遂げ徐々に食文化として洗練されていった。人々の動きに接する領域の産物として、その「目立たぬもの」が映し出すのは、国家史では描ききれない多くの人々の営みとつながりの記録だ。


 著者は前著『バナナと日本人』で、消費の場と生産現場で搾取される労働者との乖離を描いた。一方、本書で描かれるのは、国家単位での集約が不可能な網の目状に広がる人間の営みだ。ナマコで結ばれた世界を描く筆者の試みは、様々な「目立たないもの」「忘れられたもの」を浮かび上がらせていく。本書のタイトル「ナマコの眼」は、読者の世界観を相対化させるためのメタファーだ。植民地主義を声高に糾弾する訳でもなければ、史実を単に羅列するわけでもない。著者は、躍動感に溢れる「辺境・周縁」の記録を冗長に描き出してゆく。



 

 著者がナマコに注目した理由は何だろうか。人々の交錯する領域を描くことは、米やコーヒーなどの産物でも同じような議論が可能だろう。例えば、コーヒーは人類の動きに伴って徐々に階級上昇を遂げてきた産物であり、生産の消費の現場の乖離という南北問題を象徴する消費財でもある。石油につぐ巨大市場の「グローバルヒストリー」を描くための、神話、民族史、人類学といった各種アプローチにも事欠かない。多様な意味を内包する産物という点では、ナマコにもひけをとらないだろう。


 しかし、ナマコがこの消費材と決定的に異なる点がある。それは、ナマコは国家史に集約できない「辺境・周縁」をもつことだ。中央の視点からはすくいとることのできない「辺境・周縁」に、生活を営み文化を継承してきた人々がいた。その営みは、目立たないけれど脈々と受け継がれていたのだ。 特に、本書で特徴的に描かれるのは、ナマコをめぐる人々の躍動感ではないだろうか。「周辺・辺境」の営みが躍動感溢れるタッチで描かれる、それは筆者の言葉を借りれば、歴史の闇に沈んだ人や生物に墓碑をたて冥福を祈るような行為だ。ナマコを通じて見えてきたものは、人々の躍動感溢れる営みと人間のつながりの記録だった。

ナマコの眼

ナマコの眼